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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9453号 判決 1970年6月26日

原告 倉島とらみ

<ほか三名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 辻本年男

被告 吉田はな

右訴訟代理人弁護士 杉山朝之進

補助参加人 静岡瓦斯株式会社

右代表者代表取締役 秋山努

右訴訟代理人弁護士 御宿和男

主文

被告は、

原告倉島とらみに対し金一、四七八、八五六円およびこれに対する昭和四二年九月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

その余の原告らに対し各金九〇〇、〇〇〇円およびこれに対する右同日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用中、参加によって生じた部分は、これを一〇分し、その二を原告らの、その八を補助参加人の負担とし、その余の部分は、これを一〇分し、その一を原告らの、その八を被告の負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

(請求の趣旨)

一、被告は、原告倉島とらみに対し金二、〇〇〇、〇〇〇円、その余の原告らに対し各金一、〇〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四二年九月一六日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

(答弁)

一、原告らの請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二当事者双方の主張

(請求原因)

一、原告倉島とらみ(以下原告とらみという)は訴外倉島源臣(以下亡源臣という)の妻であり、原告倉島やよい(以下原告やよいという)、同倉島伸一(以下原告伸一という)および同倉島隆二(以下原告隆二という)はいずれも亡源臣と原告とらみとの間に生まれたその実子である。

被告は、静岡県清水市仲浜町六六番地において「大花」なる名称で料亭を営んでいるものである。

二、亡源臣は、昭和四一年一一月二三日夜右料亭の二階にある客室の一つである「あやめ」の間(北側に巾約四一センチ・メートルの板廊下があり、この廊下の北側の硝子戸によって外界と仕切られている八畳間の日本座敷であって、なお東北寄りに床の間が、南西寄りに便所および押入が付設されている。末尾添付見取図参照。この部屋を以下本件部屋という。)に投宿就寝したところ、右座敷北西隅寄りに置かれたガスストーブと右廊下東隅に設置されてあるガス元栓(床型ボックスカラン)とをつなぐガス管が右元栓からはずれ、かつ右元栓が開かれていたので、同元栓からいわゆる都市ガスが流出し続けて本件部屋内に充満したため、翌二四日午前二時ごろ右ガスの一酸化炭素中毒により死亡した(以下この死亡事故を本件事故という。)。

三、右ガスの流出は次のような経緯のもとにおこった。

(1) 亡源臣が昭和四一年一一月二三日午後一一時頃本件部屋で就寝するにあたり、当時被告に雇われ右料亭の女中として働いていた訴外西野静子(以下西野という。)および訴外松浦栄(以下松浦という。)において亡源臣のため前記座敷のやや南寄りに蒲団を敷いたのであるが、その際右両名は右座敷のほぼ中央に置いてあったテーブルを座敷の北西寄りに(前記板の間と座敷との境の敷居にはめられている四本引戸の障子のそば近くに)寄せるとともに、前記ガスストーブを右テーブル西端に接着させつつ座敷の北西隅寄りに移動させ、これがため、右ストーブと板廊下東隅の前記ガス元栓とをつなぐ前記ガス管を、その全部がのびきってピーンと張った状態に置いてしまった。

(2) 右ガス元栓装置は押ボタン式の「床型ボックスカラン」でそれにとりつけられているおよびの二つのボタンの操作により元栓からのガスの流出およびその閉止を調整することができるようになっており、のボタンを完全に押せば元栓のガス流出口が閉じるよう装置されているものであるが、右のボックスカランおよびガスストーブは本件事故発生日の三日程前に本件部屋に設置および搬入されたばかりで被告方従業員らがその操作に未だ慣れていず、また右ボックスカランの前記設置場所等の関係上右ボタンの上部表面に記入されているおよびの各文字を明確に識別することが困難であったことなどのため、西野および松浦は、蒲団を敷き終えた後ガス栓を閉じるべく右ボタンを押しはしたものの、のボタンを完全に押しかつこれを確認することまではせず、ガス元栓を完全には閉じないままで、亡源臣をひとり本件部屋に残して同所から退出した。

(3) なお本件部屋を含む被告方各客室等のガス元栓に至るガス供給内管(導管)の大元に装置されていて右内管へのガスの流入およびその遮断を調整するいわゆる大元栓は、亡源臣の宿泊した二三日夜から翌二四日朝に至るまで終始開かれたままであった。

(4) ところで本件部屋のガス元栓の開口(栓口)の先端部分は三段にくびれていて、前記ガス管はその三段目(三つ山目)まで挿入接合されるべきものであるが、西野および松浦が前記のように退出した当時には、右ガス管が右元栓の二段目位のところまでしか挿入されていなかった。

そして前記(1)のとおり右ガス管全部がのばされ張りつめられた状態にされたため、このガス管は、それ自体のもつ引張力によって右元栓から徐々に抜けていって遂に離脱した。

そこで閉じられていなかった大元栓を経て、前記二のとおり右元栓から都市ガスが本件部屋内に流出するに至り、この時すでに眠っていた亡源臣はその睡眠状態のまま右ガスを吸入しつづけ、それに含まれている一酸化炭素におかされた。

四、被告は肩書住所で割烹料理を営む傍ら客を同所客室に宿泊させることをも業としているものであるから、その客室にガス器具および元栓を設置しそれによる客のためのガスの使用をする以上、(一)被告の従業員においても宿泊客の就寝にあたりその部屋に設置されているガス元栓を完全にしめガスの流出していないことを点検確認すべき注意義務を負うとともに、(二)被告のする右ガス設備の設置保存に瑕疵があってはならない、というべきである。

しかるに被告の従業員は左記(一)のように右の注意義務を怠り、また被告方建物の一部である本件部屋のガス設備の設置保存に左記(二)のような瑕疵があった。

(一) 亡源臣の就寝にさきだち本件部屋内のガス器具および元栓の点検にあたった西野および松浦は、亡源臣の接待を担当した係女中として右器具および元栓の安全性を確保する処置を講ずべき注意義務を尽さず、前記三、(1)および(2)のとおり、ガス管全部を張りつめた状態に置くとともに、ガス元栓を完全には閉じなかったうえ、ガス管がガス元栓の三段目まで挿入接合されているか否かを確めることもせず、その二段目位のところまでしかゴム管が挿入されていない状態のままに放置して本件部屋を退出したことにより、その後ガス管が徐々に元栓から抜け、そこよりガスの流出するに至る状況を作出したのである。

さらに右両名その他の被告方従業員において、亡源臣就寝後本件部屋内におけるガス流出の有無等を点検すべきであるのに、これをせず、毎夜一二時以後ないし営業終了後閉じるべき大元栓を本件事故発生当夜閉じることもしなかった。

(二)(1) 被告は、客室の外、たとえば廊下などに、客室内のものとは別個のガス元栓を設置しておくべきであるのに、これをしていなかった。宿泊客が就寝した後にガス点検のため客室内に立入ることを避けるため、またガスの元栓を切ることが料理の関係で不都合であるため等諸般の事情から、最近右のような装置を付する旅館が多くなったのであって、被告においてもこの装置をしておくべきであった。

(2) 本件部屋のガス元栓(床型ボックスカラン)が既述のとおり座敷北側の板廊下東隅に設置されているため、この元栓と座敷内に置かれるガスストーブとをガス管で連結する場合には、このガス管が、板廊下と座敷との境の敷居を横切って敷居にはめこまれている障子を完全にしめきることを妨げるようになっており、殊に本件事故発生当時にみられるとおり、ガスストーブが座敷内北西隅寄りに置かれているときには、東端の障子が右敷居東端から西方へ約三〇センチメートル開かれたままにならざるをえないような状況を作り出してしまう。これでは間違って障子をしめるべく強くこれをひいた場合に、右ガス管が右元栓から抜ける可能性がある。したがって被告は右ガス管にかかわりなく障子が完全にしまるような位置にガス元栓を設けるべきであるのに、この点に思を至さず、板廊下東隅にこれを設置してしまった。

(3) 右ガス管のガス元栓に接合する部分はゴム製で圧着式になっているが、それでもガス管が元栓から抜ける可能性があるところ、このゴム製の接着部分に完全バンドを取り付けることによってガス管の元栓への接着力を増強することができ、またガス管を元栓に完全に挿入しなければ安全バンドを取り付けられないためこの取り付けはガス管を元栓に完全に挿入させる作用をも伴なうものであるから、被告は、右接着部分に安全バンドを取り付けるよう措置すべきであったのに、これを怠り、右取り付けをしなかった。

(4) 右安全バンドの取り付けにとどまることなく、さらにすすんで、被告は、ガス管がその接合しているガス元栓から抜けた場合自動的に右元栓からのガスの流出が止まるような仕組になっている元栓であるガスストッパーを当時静岡県内においても入手しえたのであるから、これを本件部屋内に設けるべきであったのに、その設置利用をすることを怠った。

(三) 以上(一)のとおり被告の被用者である西野および松浦その他の従業員に被告の業務を執行するにつき過失があったことにより、また(二)のとおり被告方建物の一部である客室用ガス設備の設置保存の瑕疵があったことにより、客室内のガス元栓からガスを流出させ同所に就寝中の宿泊客亡源臣をして中毒死するに至らせたのであるから、これによって同人およびその妻子である原告らの蒙った損害を被告は賠償する責に任ずべきである。

五、(損害)

(一) 亡源臣は、大正一〇年三月二五日生れ、死亡当時、株式会社倉島テント商会および長野スーパー株式会社の各代表取締役として月収合計金一〇三、七五〇円をあげるとともに、その生活費一ヶ月金一三、一二九円を要していたので、同人の年間純収入は金一、〇八七、四五二円となる。亡源臣は、本件事故に遭遇しなければ、あと二六年生存し得、そのうち一九年間は就労可能であった。そこで亡源臣の右一九年間の純収入を現在一時に請求すべく、これをホフマン式により計算すると金一四、二六三、〇〇〇円となり、同人は本件事故によりこれと同額の損害を蒙ったこととなる。原告らは相続により亡源臣の右損害賠償請求権を法定相続分にしたがって承継し、原告とらみにおいては妻として三分の一即ち金四、七五四、三〇〇円の損害賠償請求権を、その余の原告三名においては子としてそれぞれ九分の二即ち金三、一六九、五〇〇円の損害賠償請求権を取得した。

(二) 原告らは亡源臣を一家の柱として平穏な生活を営んでいたところ、同人の本件事故による不慮の死に遭遇して悲歎のどん底に陥り、著しい精神的苦痛を蒙っているので、その慰藉料は、原告とらみについては金六〇〇、〇〇〇円が相当であり、その余の原告らについてはそれぞれ金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

(三) 原告とらみは、亡源臣の葬儀費用として金五三六、八五六円を支出し、これと同額の損害を本件事故により蒙ったのであるから、その損害賠償請求権を取得した。

六、よって、原告とらみは金五、八九一、一五六円、その余の原告らは各金三、四六九、五〇〇円をそれぞれ被告に請求し得べきところ、右各金員のうち、被告に対し、原告とらみは第五項(一)のうち金一、〇〇〇、〇〇〇円、同項(二)のうち金五〇〇、〇〇〇円、同項(三)のうち金五〇〇、〇〇〇円の合計金二、〇〇〇、〇〇〇円を、その余の原告らはいずれも同項(一)のうち金七〇〇、〇〇〇円、同項(二)についてはその全額である各金三〇〇、〇〇〇円の合計各金一、〇〇〇、〇〇〇円を、右各合計金員に対する本件不法行為時より後の日である昭和四二年九月一六日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金と併せて支払うことを求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、原告主張の請求原因一および二の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、この争いのない各事実に、≪証拠省略≫をあわせ考えると、

(1)  亡源臣は長野県佐久市内でテントの製作販売を業とする株式会社テント商会および除臭機の販売を業とする長野スーパー株式会社の各代表取締役として自からその経営にあたって来たもので、その業績も割合によく毎年静岡、清水方面に商用で出張するのを例としていたのであるが、右業務のため昭和四一年一一月二二日佐久市から東京都内に赴いたうえ翌二三日午後二時半頃静岡県清水市内にある取引先の株式会社東洋スーパー化学研究所を訪れ、すでに他より相当量の註文を受け、これに販売しうる見込のついたスーパー便器を右会社から廉価に買付けるべく、その卸価格の値引きを求めて同会社営業課長岩見明義らと折衝し、同人らより、大量の取引であるから値引の点については充分検討したうえ返事をする旨の回答をえたこと、

(2)  右商談後亡源臣は右岩見に伴なわれて同市仲浜町六六番地所在料亭「大花」(被告方店舗)に到り、同日午後六時頃以降右料亭二階客室あやめの間(本件部屋)で同人および途中午後九時頃から加わった右会社専務取締役平垣安治の饗応を受け、同日午後一一時頃右両名が同所から引きあげるまでの間に同人らとともにビール合計約二三本を飲んだが、この間、当時被告に傭われ右料亭の女中として立働いていた辻、西野および松浦がその接待にあたったこと、

(3)  ところで昭和四一年八月頃新築された右料亭の各客室にはそれぞれガス元栓(押ボタン式床型ボックスカランと名づけられているもの。床板にはめこまれる鉄製の箱の中央部にガスの流出する開口部(栓口)があり、この栓口の傍らに、上部表面におよびとそれぞれ記された押ボタンが付着し、と記されたボタンを下に押すとこれにつれてと記されたボタンがあがってガスの右栓口からの流出が止まり、逆にと記されたボタンを下に押すとこれにつれてと記されたボタンがあがりガスが右栓口から流出するように装置されている。末尾添付の器具図面参照。)一箇が付設されており、被告が補助参加人会社から購入したガスストーブ約一四台が同年一一月二〇日頃同会社担当職員都築龍夫によって本件部屋を含む右各客室等に一台ずつ配置され、右ストーブにつけられたガスゴム管がガス元栓の栓口(この栓口の部分は三段にくびれている。以下その先端から順に一段目、二段目、三段目という)の三段目まで一杯にさしこまれ、点火および空気調節のテストも済まされていたところ、その後約三日を経た同月二三日夜の右(2)記載の酒宴に際し、その始め頃からガスストーブが本件部屋の座敷の東北隅に置かれて点火使用されたが、その後飲酒を重ねるうち暑くなったため、松浦においてガスストーブのスイッチを切り火を消したこと、なおその時同女はガス元栓をしめることまではしなかったこと、

(4)  その後右ガスストーブが点火使用されないまま酒宴が続けられ、岩見および平垣が引きあげていった後、ひとり本件部屋に残って一泊することになった亡源臣(同人は以前この料亭に立寄ったことはあるが、新築された本件部屋に宿泊するのはこの時が始めてであった。)の就寝のため、同日午後一一時三〇分頃西野および松浦は、ガスストーブを前記位置から座敷の北西隅寄りに移してその裏側が座敷北側障子の南側近くこれにはほぼ平行にならぶ形に置き、座敷のほぼ中央部に置かれてあるテーブルを北西寄りに移動し、その西側横の側面がガスストーブの東側横の側面に密着しかつその北側縦の側面が障子の南側近くこれにほぼ平行にならぶ形に置いたうえ、座敷のほぼ中央部に蒲団を敷き、さらに北側窓のアルミサッシュの硝子戸を締めて施錠する等し、本件部屋から退出したこと(以上本件部屋の内部の状況を図示すれば別紙見取図記載のとおりである。)、その頃亡源臣は相当酔っており、また寝巻姿になっていたが、未だ寝床には入らなかったこと、

(5)  これよりさき右(2)記載のように飲酒していた際、亡源臣は接待にあたっていた辻に「翌朝早く帰る。」旨告げ、同女において身延線との連絡時間を調べた結果、明二四日午前六時半頃国鉄清水駅で乗車することになったのであるが被告方では早朝に客の食事を整えることができなかったため、辻より他に握りめし六個を注文しておいたところ、それができて来たので、同女が翌二四日午前零時三〇分頃これを本件部屋内に持参しすでに前記蒲団に入って寝ていた亡源臣の枕許に置き「ここに置きますよ」と告げたところ、同人において「うん」と返事をし未だ眠ってはいなかったこと、ついで辻は湯呑二個および土瓶一個を同じく枕許に届けたうえ天井の電燈を消灯して部屋を立出でたこと、その際枕許には水差しおよび電気スタンドも置かれてあって、このスタンドにだけ薄暗く豆電球がついており、なおガスストーブは点火されていず、その他ガスの洩れ出ているなどの異常は認められなかったこと、

(6)  翌二四日午前一〇時二〇分頃被告方に出勤して来た辻(当時通勤していた同女は同日午前一時近く帰宅したうえ、いつものとおり右時刻頃出勤して来た。)が、亡源臣の未だ寝ている旨を聞いて同人を起こすべく同日午前一〇時四五分頃本件部屋内に入ったところ、ガスゴム管がガス元栓からはずれていて、その開かれている栓口から都市ガスが音を立てて噴出し続け部屋内に充満していることを知り、いそぎ元栓をしめ硝子窓の錠をはずしてこれを開けたうえ蒲団のなかに横たわっていた亡源臣をゆり起こそうとしたが、その時はじめて同人のすでに死亡していることを覚知したこと、

(7)  同日午前一〇時五〇分頃この旨辻より電話で申告を受けた所轄清水警察署の巡査部長青木孝雄その他の係官が同日午前一一時頃本件部屋に臨み、室内および死者の状況等を検分し、また同日医師木村和夫が検屍し、さらに翌二五日亡源臣より採取された血液の鑑定が行なわれたことにより、次の諸点が明らかになったこと、

(イ)  右血液には一酸化炭素五〇パーセントが含有されており、また右死体の背中、頸、大腿および足先に鮮紅色の死斑が著明で指でこれを圧すと半ば褪色し、他面外傷は全くなく眼瞼、眼球、結膜とも溢血点はなく、亡源臣は本件部屋のガス元栓から流出し続けた都市ガスを吸入し、それに含まれている一酸化炭素の中毒に同日午前二時頃からおかされこれがため同日午前三時頃までに死亡したものと推定されること。

(ロ)  亡源臣はメリヤス丸首シャツ、メリヤスズボン下の上に寝巻を着て東枕に蒲団のなかに仰向けに横たわった状態で死亡しており、左口角より泡沫状の粘液が流れ出て左目に涙が溜り屎尿の失禁が見られるが、両眼を閉じ苦悶の表情が見られず、また掛蒲団が斜になり、敷布の北側腰のあたりがすこし乱れ、なお寝巻の胸がはだけ裾が尻のあたりにあり、腰のあたりに着けている帯が結ばれていないが、それらに不自然な乱れがないこと。

(ハ)  同月二三日夜の来客は亡源臣を除き全部同日中に引きあげてしまい、他に同夜の宿泊客はなく、料亭全体の戸締に異状が見られなかったうえ、同人の着ていた背広右内ポケット内に現金二万四、四一五円在中の札入れがしまわれ、ズボンのポケットに五〇円および一〇円の硬貨各一個があり、同人の左手首に腕時計が着けられていて、その所持金品がそのまま残され、室内に物色の跡もなく、左記(ニ)の諸点の変化が見られるものの、本件部屋の状態には不自然な作為の跡が見られなかったこと。

(ニ)  清水警察署係官の前記実況見分時にはガス元栓(床型ボックスカラン)の栓口からこれに接合していたガスゴム管が抜け、その先端がボックスカランの鉄製箱の外枠のうえに置かれてあった点、敷居にはめられている四枚の障子のうちの東端の一枚が亡源臣の就寝時には右敷居東端から西方へ約三〇センチメートル開かれていたのに、辻の事故発見時にはその開かれている部分が約五〇センチメートルの広さになっていた点、テーブルが前記(4)の位置より西方に若干移動していた点および辻が最後に退出した時亡源臣の枕許に置かれてあった物品のうち、電気スタンドがテーブル上の南東角あたりに置かれ、そのスイッチが断(消灯となっているうえ、この電気スタンドのコードがその接合されていた床の間南側のコンセントからはずれており、また水差しが床の間の北寄りの棚の上に置かれていたことが右実況見分の際明らかにされた点等に本件部屋の状況の変化が見られるとともに、それ以外の点においては前記就寝時ないし辻退出時と事故発見時との間に右状況の差異は見られず、土瓶にはお茶が一っぱい入ったままでその飲まれた形跡がなく、六個の握りめしにも全く手が着けられず、なお亡源臣が自宅を出る際妻の原告とらみから依頼され、静岡県内で土産用に買い求めた茶の包み四個のいれられた静岡中村園の紙製手提袋が床の間南寄りに置かれたままになっていたこと。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二、本件部屋内のガス元栓に接続するガス供給内管(導管)の大元栓が本件事故発生当夜を通じ開かれたままになっていたことも当事者間に争いのないところであるから、右一記載のように都市ガスが本件部屋内に流出充満するに至った経過を明かにするためには、どのようにして本件部屋のガス元栓が開かれたのか、またどのようにしてこれに接合するガスゴム管が右元栓からはずれたのか、という点を検討する必要がある。

(一)  前記一、認定の事実関係よりみると、右一、(5)記載のとおり辻が本件部屋を立出でた後に、亡源臣以外の者が本件部屋内に入り、ガスゴム管をガス元栓からはずす行為およびガス元栓を開く行為(ただし、後者の行為はガス元栓が閉じられていた場合に限る。)をした、と推認することはできない。そこで亡源臣以外の者の右行為による場合を除外し、この場合以外におけるガス元栓の開閉およびガスゴム管の離脱が考えられなければならない。

(二)  西野および松浦が右一、(4)記載のように本件部屋を退出したとき、そのガス元栓は閉じられたのか、開かれたままであったのか。

(1)  右一、(3)(4)認定の事実よりすれば、西野および松浦が右(4)記載の行為に着手する時にはガス元栓は開かれたままになっていたものと認められる。

(2)  ところで西野の司法警察員青木孝雄に対する昭和四一年一二月六日付供述調書には「私はガス栓のところをのぞき込みガスを止めるボタンを押して止めてストーブの方をつくかどうかやって見ましてストーブがつかない事を確めましてガスが止っていることをはっきり見定めてから下に降りて来ました。」と同女が供述した旨記載されているのに対し、松浦の右司法警察員に対する同日付供述調書には、「……ストーブは早く消してしまって有りまして私し共が出て来る時にもついていませんでした。

私はこれ丈のことをして下に降りて来まして二階には上って行きませんから後のことは判りませんが……。」と同女が供述した旨記載されているだけで、同女の本件部屋退出に際しガス元栓がしめられたか否かについては全く触れられていない。もっとも右青木孝雄は証人として「倉島の床をとったのは松浦と西野ですが、元栓はしめたといっておりました。調書にはないと思いますが、西野が元栓をしめ松浦がガスストーブをしめたといったように記憶しております。」と供述しているが、松浦がガスストーブをしめたのは、すでに認定したとおり、亡源臣の就寝時以前のことであって、右に摘示した供述記載部分もこれに符合しているものと認められるから、青木孝雄の右供述より、松浦が、その供述調書の記載態様にかかわらず、本件部屋退出時におけるガス元栓の点検に関する供述をも、右司法警察員に対してしたものと認めることができない。

その後昭和四三年三月二七日に行なわれた当裁判所の証拠調期日において、西野は証人として、「元栓は、私がとめましたが、私がとめるのを松浦はうしろでみておりました。元栓をしめた後、瓦斯器具の方にも点火してみたが異状はありませんでした。この時も私のやることを松浦はみておりました。」「あやめの間を出て二階からおりるのは私らが最後のため、私と松浦とで他の部屋をみてまわり全部の部屋の瓦斯元栓をしめておりたのです。」「元栓は、(と表示された押ボタンを意味するものと解される。)と(と表示された押ボタンを意味するものと解される。)とあり、のボタンを押したのです。私は床の間を背にしてやったもので、「あやめの間」で瓦斯を使ったのは、倉島さんの泊る前日もつかいました。」と供述して、自己の所為を松浦がみていたこと、その後二階の他の客室のガス元栓をしめたことを付加し、なお当日は風呂桶に水を入れずにガスをつけていわゆるから焚きをしたことがあって特にガスに気をつけていた旨あわせ供述している。そして右証拠調期日において、松浦もまた証人として、「……瓦斯は全然いじりませんが、西野は元栓をしめたのです。西野は栄ちゃんみてくれというので私はみておりましたが西野は元栓をしめました。」「それから私は倉島さんの部屋を出て女中部屋に行ったのですが、そのまえに他の部屋にいき瓦斯や戸締をみたのです。……」「西野が瓦斯元栓をしめたことは断言できます。それは私がみているからです。」「……風呂に水を入れずに瓦斯をつけたことでママがないて怒ったので当日は特に瓦斯については注意をしていたのです。」「西野が一寸みてくれといわれた時私はボックスカランをのぞいてみましたし、何時もそこをとめたりしておるのでどうすればとめられるか知っております。その時西野はかがんで外に向っていたもので背は床の方にむいておりませんでした。」と西野証言に符合する供述をするに至った。

たしかに亡源臣の死亡した日の前日被告方で浴槽に水をいれないままそのガスバーナーに点火していわゆるから焚きをした事故があったことおよびこれがため被告に代わってその料亭大花の経営にあたっている吉田たき子が被告方従業員らに対し同日特にガスの取扱に注意を払うよう指示したことが、≪証拠省略≫により認められるのであって、このことよりすれば、西野および松浦が本件部屋を退出するに先きだちガス器具の点検に留意した旨の前段摘示の各証言部分には信憑力があると一応考えられなくはないけれども、前記各摘示部分に明らかに見られるような、司法警察員面前調書における右両名の供述内容の、当裁判所の証拠調におけるそれへの変化ならびに右証拠調における右両証人の供述の態様およびその内容自体の不自然さ(西野および松浦が当日如何にガスの取扱に留意していたとはいえ、右両名の供述するような方法態様のもとにガス元栓を閉じ、ガスの漏出していないことを点検確認することは、日常ガス元栓を閉じる際に通常人のとる方法とは著しくかけはなれているのみならず、仮に両名がともに供述するほどに深く注意していたとするならば、元栓を閉じるにあたり元栓とガスゴム管との接合状態についても同様の注意を払ったはずであるのに、西野証人においては「元栓とゴム管との接着部分については気がついておりません。」と述べ、松浦証人においても「ゴム管と元栓の接着はみておりません。」と述べているのであって、元栓を閉じたことに関する右両名の各供述部分には首肯し難い不自然さがある。)に鑑み、またガス元栓(床型ボックスカラン)は本件部屋の北東隅の床板にはめこまれ、かつ、右元栓に付着する二個の押ボタンはその上部表面に刻印されているおよびの各文字によってのみその機能の差異を識別しうる外観を呈しており、殊に夜間その南側から右押ボタンを操作するときにはその操作する者が背後から電灯の光を受けることになる関係上右識別が必ずしも容易ではなく、なお右押ボタンを押すときにそれを中途までにとどめてしまうこともありうる装置となっていること(このことは検証の結果によって明らかである。)、証人西野静子の証言によれば、西野は右のような位置関係からガス元栓のの押ボタンを押したこと、西野および松浦はこの押ボタンをこの時始めて操作したものではないが、その使用され始めた時から日も浅く右操作には慣れていなかったこと(このことは前記一、(3)認定の事実ならびに≪証拠省略≫を総合することによって認められる。)をあわせ考えると、西野においては終始一貫してガス元栓を完全にしめた旨述べてはいるものの、この西野の司法警察員に対する供述記載および証言部分は、これに副う松浦のそれとともに、必ずしも真実を伝えるものではないと認めざるをえない。

(3)  仮にそれらが真実を伝えるものであるとするならば、辻退出時後亡源臣死亡時までの間に同人以外の者が本件部屋に在室していたことを認めえないこと前記(一)のとおりであり、かつ、ガス元栓のの押ボタンが人力によることなくして開かれることはありえないと認められること後記(三)認定のとおりであるから、亡源臣が右時間内に自からの押ボタンを押してガス元栓を開く行為をしたものであり、しかも特段の事由がない限り、右行為は同人がいわゆるガス自殺を遂げるための一階程として自から選んだ方法であると認めるよりほかはないところ、同人が自殺したものと認めうる資料を本件記録中に見出すことができるであろうか。

(イ) 前記一認定の各事実特にそのうちの(7)の(ニ)の事実よりすれば、辻が本件部屋を最後に退出した時より後に亡源臣の手によって、その枕許にあった水差しが床の間のうちの北側棚の上に、同じく枕許にあった電気スタンドがテーブルの南東角上にそれぞれ移し置かれ、右電気スタンドのスイッチが点(ON)から滅(OFF)に変えられ消灯されたことが認められる(実況見分時に右電気スタンドのコードが床の間南側のコンセントからはずれていたこと既述のとおりであるが、その時に先だつ辻による本件事故発見時にもすでにそのような状態になっていたか否かは明らかでない。辻は、当裁判所の第二回検証の際立会人として本件部屋に入った時にすでに右のような状態になっていた旨指示説明しているけれども、その司法警察員に対する供述調書にはこの点に関する記載がなくその証言においても事故発見時前夜と変っている点として電気スタンドの位置の移動をあげるに止まりそのコードがコンセントよりはずれていたことについては触れていないのみならず、≪証拠省略≫によれば、辻は本件事故に気づいた際あわてて本件部屋に飛び込み急ぎ床の間の前を通ってガス元栓の処に到りこれを閉じたこと、辻が事故を発見したので西野はみんなと一緒にどやどやと本件部屋に入ったこと、床の間の生け花の乱れていたことが実況見分時に現認されたこと、この時までの現場保存は十全には行なわれていなかったことが認められ、なおコードがコンセントに接合していた力と電気スタンドの重量との差を明らかにする資料がないので、事故発見時に際し辻ないしこれに続いて入室した者の咄嗟の動作により誤ってコードがコンセントよりはずれる結果が生じたこともありうるといわざるをえず、被告主張のようにこのコードのコンセントよりの離脱もまた亡源臣の行為によったものと断定することは困難である。)から、これらの事実により、亡源臣は辻退出の際見られた臥床の状態の続いているうちに死亡したのではなく、辻退出後死亡時までの間に寝床より起き上がり、すくなくとも水差しおよび電気スタンドを右のように移動させかつ電気スタンドを右のように消灯する行為をしその後に再び寝床に入ったことが推認される。

また≪証拠省略≫によると、亡源臣は前記一、(2)の酒宴の席で妻子のことを語り童謡を歌い同席した岩見明義に対し従前会談した時とは異なった印象を与えたことが認められる。

さらに世上第三者からは理解し難い理由、状況の下に自殺の行なわれることもありうるとされている。

そこで以上の諸点よりして、亡源臣が一旦就寝した後に、寝床から起き上がり本件部屋で水差し電気スタンドを移動させる等の行為をした際に、突発的ないし衝動的に、あるいは本件記録上からは窺いえない事由の下に、自からその生命を断つべくガス元栓を開く行動に出た、と推測しうる余地が生じる。

(ロ) しかしながら、前記一認定の事実に、≪証拠省略≫をあわせ考えると、

亡源臣はその経営する会社の業績も比較的順調で、その死亡した日の前日も清水市内の取引先を訪れて同所より買付ける予定の商品の卸価格の値引を求め相手方から右値引につき検討のうえ返事をする旨の回答をえて商談を終えたこと、

その日の昼頃亡源臣は清水市内から電話で原告とらみに対し翌二四日早朝に同所を発って帰宅する旨連絡し、前記宴席においても係女中に対し明日早朝帰ると告げ、身延線との連絡時間を調べてもらったうえ翌朝午前六時半頃国鉄清水駅から乗車する予定をたて、それがため朝食用の握りめしの用意までさせたこと、

亡源臣は自宅を出立するに際し原告とらみから依頼された土産用の茶を静岡県内で購入し本件部屋に宿泊するにあたりこれを床の間に置いていたのであるが、実況見分時にあってもその侭の状態であったこと、

亡源臣は常日ごろ酒にはかなり強く、飲酒の際にはよく童謡を歌い家族の話をするのを例としていたのであって、それは前記宴席に限られたものではなく、妻の原告とらみのことについてはむしろ同席の岩見明義にむかい「今までは仕事に追われて省みてやれなかったが、地位もできたし余裕もできたので、今度清水に連れてくるから頼む。」とまで語っていたこと、

亡源臣の一家は、脳性小児麻痺を病み入院療養中の長男原告伸一を除き、健康に恵まれ円満な家庭生活を営んでいたものであって、亡源臣は常日ごろ原告伸一の身を案じ「この子のためにも働かなくてはならない」とその意中を身近かな者に洩らしていたこと、

亡源臣は寝付きがよい方であるが、部屋の中に灯があるときは寝付かれない性質のため普段も就寝にあたってはその部屋を暗くしていたこと、

亡源臣は日頃余り細かいことにこだわらず物事にくよくよするような性格ではないとともに、気の小さいところもあったこと、

もし亡源臣がガス自殺を図ったとするならば、たといそれが突発的ないし衝動的なものであったにせよ、自殺に対する何らかの心用意が死亡時の同人の着衣、寝具、身の廻り、体位また表情等に残されているのが通常の事例であるのに、そのような痕跡は、前記のような水差しの移動、電気スタンドの移動および消灯等の点を考慮に入れても、見あたらないこと(なお右消灯に加えてコードのコンセントよりの離脱もまた亡源臣の手によってなされたとしても、同人の就寝時における前記性癖よりすれば、それが被告らの主張するほどにしかく了解し難い行為であるとは解しえない。)

が認められるのであって、これらの各認定事実よりみると、亡源臣には自殺する事由がなく、前記(イ)の推測もむしろこれを否定するのが妥当であると認められる。

(4)  以上の諸点よりみて、本件部屋内のガス元栓は、亡源臣の就寝時において、すくなくとも完全にはしめられなかったものと認められ、これに反する右(2)の記載および供述部分は採用し難い。

(三)  ガスゴム管のガス元栓からの離脱について

(甲)  前記一、(3)(4)認定事実および検証の結果によれば、右一、(3)(4)記載のとおりテーブルおよびガスストーブが移動されたため、西野および松浦が本件部屋を退出した時には、その座敷の北西隅寄りのガスストーブに接続されているガスゴム管(直径約九・五ミリメートル長さ約三・〇八ないし三・一五メートルの、外面がビニール張りのゴム製の管で、その両端のゴム破覆部分がそれぞれ約五・五センチメートルの長さにわたり圧着式になっている。)がガスストーブの東側に接着するテーブルの北側と障子南側との間の畳の上をほぼ一直線に東方にのびその先端部分が敷居をこえて北東方向に彎曲し板廊下東隅のガス元栓の栓口(ガスパイプ)に接合する形態をとり、敷居内の障子のうちの東側の一枚がガスゴム管に妨げられて東側柱から約三〇センチメートル西方に開かれたままの状態になっていたことが認められる。

原告はこの時ガスゴム管がガスパイプの二段目までしか挿入されていなかった旨主張する。昭和四一年一一月二〇日頃補助参加人会社担当職員都築龍夫により右ガスパイプの三段目まで一杯に右ガスゴム管がさしこまれ接合されたこと前記一、(3)に認定したとおりであるところ、それ以後同月二三日夜に至るまでの期間に右接合状態が変化した事実を確認しうる証拠がないので、同夜西野および松浦が亡源臣のために床をとるべくテーブルおよびガスストーブを移動させるに際してもガスゴム管は引き続きガスパイプの三段目まで挿入されていたものと認めるのがむしろ自然である。ただ右期間中終始右接合状態が同一に保たれていたことを認めうる証拠もなく、かつ証人西野静子の証言によれば、本件部屋はほとんど毎日使われており、同月二二日本件部屋でガスストーブの使用されたことが認められるので、同期間中に右ガスゴム管の挿入状態に全く変化が生じなかったとまでは断定し難く、すくなくとも右挿入状態の変化しうる可能性の存したことはこれを認めざるをえない。

次に原告は、右ガスゴム管全部がのばされ張りつめられた状態にされたため、このガスゴム管がそれ自体のもつ引張力によってガス元栓から徐々に抜けていってはずれるに至った旨主張する。ガスゴム管は上記のとおりその全部がのびきった形態になり、その西端はテーブル(縦約一五二・五センチメートル、横約九一・五センチメートル、重さ約一〇キログラム―証人安井修一の証言)によってほぼ固定されているガスストーブに、その東端は床板に固着したガス元栓にそれぞれ接合し、その彎曲部分が障子の端に接触しているのであるから、ガスゴム管の全部がある程度その両端から引きはられた形になっていたことは推定されるけれども、ガスストーブの東端から床の間西端までの距離が約二・七三メートル(三・五九メートル―五一センチメートル―三五センチメートル=二・七三メートル別紙見取図参照)であるのに、ガスゴム管の全長が約三・〇八メートルであるから、ガスストーブの高さ三六・三センチメートルおよびガス元栓外枠の南端からその南方の畳の北端までの間隔約二三センチメートルを計算にいれても、ガスゴム管全部がピーンと張りつめられるまでの強い緊張は与えられなかったものと認められ(る。)≪証拠判断省略≫そして≪証拠省略≫によれば、ガスゴム管がガスパイプの三段目まで挿入されてこれに接合している場合には、右に認定したような状態のガスゴム管がそれ自体のもつ引張力だけによってガス元栓から抜けることはないこと、なおガス元栓が開いていてガス(ただし補助参加人会社供給の家庭用ガス)の圧力がガスゴム管にかかる場合を想定しても、ガス元栓の開度の如何を問わず、右ガス圧力によってガスゴム管がガス元栓より抜けることは起こりえないこと(ただしガスゴム管がガスパイプの一段目までしか挿入されていないときには、ガスゴム管が曲って自重で抜けるように力が加わるため三〇秒位で自然に抜けるが、それもガス圧によるものではないこと、)が認められる。したがって原告の右主張は採用し難い。

(乙)  ところで≪証拠省略≫ならびに前記一認定事実を綜合すると、

(1) 右ガスゴム管が右ガス元栓の栓口(ガスパイプ)の一段目までしか挿入されていない場合には、ガスパイプが垂直に上向きに出ている関係上、これに接合するガスゴム管は、その自重により他の何らの力を加えないでも約三〇秒でガスパイプから離脱してしまうこと、

(2) 上記認定のような形態に在るガスゴム管がガスパイプの二段目または三段目まで挿入されている状態において

(イ) 手でガスゴム管を抜く場合

(a) 三段目まで挿入されているとき‥‥ガスゴム管は容易には抜けないが、さして困難という程のこともなく抜ける。

(b) 二段目まで挿入されているとき‥‥(a)の場合に比し力もすくなくて抜きうる。

(ロ) 敷居上の障子一枚を、しめる方向すなわち西から東側柱に向って、強くひく場合

(a) 三段目まで挿入されているとき‥‥ガスゴム管は抜けない。

(b) 二段目まで挿入されているとき‥‥ガスゴム管は一度では抜けないが、二度繰りかえすと抜ける。

なおこの方法によってガスゴム管が抜けた場合には、後記(ニ)の場合において抜けたときとは逆に、そのガスゴム管の先端はガス元栓の中心より右側(座敷内(南)より窓側(北方)に向って右側(東側))に離脱停止し、その後に障子を開いてもその停止位置は余り動かない。

(ハ) ガスゴム管を足でひっかける場合

(a) 部屋の内部からガス元栓のある板廊下側へ出ようとして足でガスゴム管をひっかけた場合には、板廊下の幅(約四一センチメートル)が狭く、ひっかけた足が廊下の外側(北側)にある硝子戸につかえてしまうので、ガスゴム管ははずれない。

(b) (a)と逆の場合、すなわち廊下から屋敷内に入る際に足でガスゴム管をひっかけた場合には、(a)の場合より足にガスゴム管をひっかける可能性が多く、かつ(a)の場合と異なり、前方に障害がないので、その際強くガスゴム管をひく可能性がある。

そして、

(α) ガスゴム管が三段目まで挿入されているとき‥‥普通に歩いて室内に入る際相当強く足でガスゴム管をひっかけても抜けない。

(β) ガスゴム管が二段目まで挿入されているとき‥‥ガスゴム管は抜けないが、そのガスパイプとの接着部分が二ないし三ミリメートル位持ちあがる状態になる。

(α)および(β)のいずれのときでも、足をガスゴム管にかけたまま、一度だけでなく、二、三度強い力でひくと、ガスゴム管はガスパイプから抜ける。

(ニ) テーブルを、本件事故発見時における位置から、その時の状態のまま、すなわち、その西側にガスストーブが接着している状態のまま、西方に向って強く押す場合、テーブルの自重約一〇キログラムを超える力がそこに加えられる必要があるところ、

(a)三段目まで挿入されているとき‥‥ガスストーブ西端が座敷西側壁に押しつけられるまで押しても、ガスゴム管は、元栓挿入部分の右側(東側)部分が左側(西側)部分より約四ミリメートルあがる程度にとどまり、ガスパイプからは抜けない。

(b) 二段目まで挿入されているとき‥‥(a)と同様に押すとガスストーブが西側壁につく以前の段階において、ガスゴム管は、元栓挿入部分の右側部分が左側部分より約五ミリメートルあがって除々にガスパイプより抜けてゆき約五秒後に離脱する。

(3) ガスゴム管が元栓の各段階に挿入されていた場合に、ガスゴム管が元栓から抜けるに必要な力は、それぞれ一段目の場合が二二五グラム、二段目の場合が七五六グラム、三段目の場合が一二、三〇〇グラムであること、

(4) ガスゴム管が元栓から抜けるいずれの場合においても、原理的には、加わる力が余程大きなものでない限り、瞬間的には抜けず、除々に抜けていって離脱する過程をとるが、その離脱するに至るまでの所要時間はいずれの場合にも一分以内であること、

(5) 元栓を全開にしてガスゴム管を抜くとガスの噴出に「シュー」というかなりの音が伴うこと、

以上の事実が認められる。鑑定人安井修一の鑑定結果中には、右(2)の(ロ)(b)および(ハ)(b)の各認定と牴触するが如き部分があるけれども、(ロ)(b)についての右鑑定結果は、障子の自重を二ないし三キログラムとし、それを引くのに必要な力で引き抵抗を感じた点で力を加えるのを停止する方法によった(証人安井修一の証言)結果であり、(ハ)(b)についての右鑑定結果も、その加えた力が右(3)記載の範囲内であった結果(右証言)であって、たとえば、何らかのはずみで足にゴム製ガス管をひっかけた場合または障子をしめようとしてこれをひいたのに未だしめきらない段階においてこの引くことに対する抵抗を感じた場合に、さらにその障害物に対しより大きな力を加えること、すなわち七五六グラム以上の力を加えることが多々ありうることは、経験則上明らかであるから、右各鑑定結果は前記認定の妨げとなるものではない。

(丙)  右(甲)および(乙)認定の各事実よりすれば、ガス管が元栓から離脱する場合として、(乙)の(2)の(イ)ないし(ニ)の場合を想定しうるところ、まず右(ニ)の場合は、本件事故発見時におけるテーブルの位置から更に西方にテーブルを押しやることによって始めてガスゴム管の離脱しうることを示す事例であるから、テーブルが右の位置にあることを前提としつつガスゴム管離脱の事由を明らかにすることを要するものとする限り、この(ニ)の場合は右離脱事由から除外されなければならない。

辻による本件事故発見時におけるガス管先端部分の位置が前記実況見分時におけるそれと同じであったとするならば、前記(乙)(2)(ロ)末段よりみて、障子をひくことによってガスゴム管が抜ける場合も右離脱事由から除外されるべきであるけれども、現場保存が必ずしも十分でなかったことさきに認定したとおりであって、事故発見時におけるガスゴム管先端部分の位置形状が実況見分時におけるそれと異なっていたこともありうるので、この(ロ)の場合をも含めて右(2)(イ)ないし(ハ)記載の各事例を斟酌しつつ叙上のような状況の下にガス管の離脱しうる場合を検討すると、左記のように考えられる。すなわち、

亡源臣が一旦就寝した後、寝床から起き上がり、水差しを床の間の棚の上に運び、電気スタンドをテーブルの上に移し、消灯した形跡があり、障子の東端の一枚が亡源臣の就寝時に、敷居東端から西方へ約三〇センチメートル開かれていたのに事故発見時には開き加減が約五〇センチメートルになっていたし、また、テーブルが西方に若干移動していたことは屡述のとおりであって、もし、これらの形跡や状況とガスゴム管離脱の現象が関連あるものとして本件事故発生原因を追及すると次のような想定が充分可能である。

(イ) 亡源臣が一旦就寝した後寝床から起き上がりすくなくとも水差しの移動ならびに電気スタンドの移動および消灯の各行為をしたこととガス管離脱の現象とが継続してまたは同一機会に生じたとすれば、それらのうちのいずれかがさきに生じたにせよ、右行為のうちすくなくとも水差しを枕許から床の間の棚の上に移す動作は、亡源臣において自からこれを意識してしたものと認めるのが相当であるから、このような意識のある状態において同人はガスゴム管離脱の現象を自からの手によって生ぜしめたかあるいはそれ以外の方法原因によって生じたガスゴム管の離脱を認識しつつこれを自から止めうるにもかかわらず放置したかしてガスをガスパイプから室内に流出せしめたと認めるほかはない。

(ロ) しかし辻が最後に本件部屋から退出した時には、亡源臣は臥床していたものの未だ眠りにおちてはいなかったこともまたさきに認定したところであるから、同人は辻退出後未だ眠りに入らないうちに起き上がって前記のとおり、水差しを運び、電気スタンドを移し消灯し、もし同人がしたとするならばコードをコンセントからはずしもして、室内を暗くしたうえ臥床し眠りに就いた、そして、時間的経過、事由の如何は兎も角として、その後、眼を覚まし、再び起き上がって、何らかの行動をした、とみることは可能である。しかも同人は就寝時、相当に酩酊していたことは既述のとおりであり、就寝時から行動時まで短時間しか経過していない(辻退出時は、午前零時三〇分頃であり、一酸化炭素中毒におかされ始めた時が午前二時頃と推定されるから、右経過時間は約一時間半以内とされる。)のであるから、始めて宿泊し、勝手のわからぬ暗い本件部屋内において、あるいは、半睡の酔いも醒めやらぬ状態で誤ってガスゴム管をガスパイプから離脱させる結果を生ぜしめた、たとえば、小用に起き、便所の位置を間違える等して北側廊下に出た後、廊下から室内に戻る際(前記(乙)(2)(ハ)のように)足をガス管にかけたまま二、三度強い力でこれを引いた、あるいは、前認定のとおり障子の東側の一枚が、右敷居東端から西方へ約三〇センチメートル開かれていたところ、それが、ガスゴム管に妨げられるためであることを覚知せず、右障子を閉めようとして、相当強い力で、東側柱に向ってひいた、しかも場合によっては二度、三度くりかえしてひいてみた結果、障子をガスゴム管に強く当て、ガスゴム管の挿入状態に変化を生ぜしめた、その後に右障子を西方へ約三〇センチメートルを超えて開いたままにした、あるいは、また、テーブルを、西方に強く押しやり、テーブルの西側に置いてあったガスストーブに衝撃を与え、ガスゴム管の挿入状態に変化を生ぜしめた、等と想定することも可能である。そして、ガスゴム管がガスパイプの三段目まで挿入されている場合でも、右に想定した行為あるいはこれに類する行為が、二、三重複したならば、そのいずれがさきに生じたにせよ、また、多少想定からはずれた点があるにせよ、ガスゴム管はガスパイプの三段目から直ちに、あるいは、二段目ないし一段目に移動したうえ離脱することは右(乙)に挙げたところからこれを肯定できる。なおかような行為は、相当強い力が必要であって、かつ、ガスゴム管が離脱するとガスの噴出音も生ずるけれども、前記のとおりあるいは半睡の酔いも醒めやらぬ状態等をも考慮にいれると、亡源臣が自己の行為によってガスゴム管がガスパイプから離脱したことを意識することなく、再び、寝床に戻って眠ったとみることは、不自然とはいえない。

(イ)および(ロ)にそれぞれ記されたことだけからそのいずれを採るべきかは容易に決し難いところであるが、さきに認定したとおり亡源臣に自殺する事由を見出しえない点に鑑みるとき、(ロ)の場合の起りうる可能性を否定しえない以上、辻退出後亡源臣が本件部屋でどのような行為をしたのかはこれを明らかにしえないけれども(想定は以上につきるわけではないし、また、以上の想定のみについて、そのいずれによるか、あるいは、そのいずれといずれが重複したか容易に決し難いところであり、結局、辻退出後、亡源臣が本件部屋において、どのような行為をしたかは、遂にこれを明らかにすることができないのであるけれども、)、なお亡源臣に過失の一因があると推定できる行為によってガスゴム管がガスパイプから離脱し、しかも、同人は勿論、右行為がガス管の離脱につながる結果となることまでをも意識するに至らなかったと認定するのが相当である。

三、≪証拠省略≫をあわせ考えると、被告は料亭「大花」を経営する傍ら時には酔って帰宅しにくくなった客を宿泊させることもあり、冬期、客室に客を通すときにはその接待を担当した被告方女中においてガスストーブの点滅にあたるのを例としていたことが認められるのであるから、かような営業をする被告としては、その各客室にガス器具および元栓を設置しそれによるガスの使用をして客を接待する以上、自からまたはその接待にあたる被告方従業員において右器具および元栓の取扱に留意し、その取扱の誤まりによってガスの流出等を招き、顧客の生命または身体に危害を及ぼすことのないよう万全の注意を払うべき義務があるというべきである。

しかるに前記一、二各認定事実のとおり、宿泊客亡源臣の接待を受持ち本件部屋のガスストーブの点滅に自からあたった被告方女中西野および松浦は亡源臣の就寝にのため本件部屋内に蒲団をとる際その室内のガス元栓を完全にはしめないまま同室を立去ったのであるから、この点において右注意義務を怠ったものというべきところ、前記二認定のような亡源臣の所為に基づくガスゴム管離脱がこれに加わったため、都市ガスが元栓から流出しそれによる同人の中毒死が招来されたのであるから、被告の使用者である西野および松浦が被告の業務を執行するにつき過失があったことにより、亡源臣を死亡するに至らしめたというべく、したがってまたこれによって同人およびその妻子である原告らの受けた損害を被告において賠償する責に任ずべきであるといわねばならない。

なお原告らは、亡源臣就寝後も被告方従業員において本件部屋内におけるガスの流出の有無等を点検すべきであった旨主張するが、就寝時における点検義務のほかに、客の就寝後さらにその室内に立ち入って右点検を重ねるべき注意義務があるとは考えられない。ガスストーブだけでも一四台も使用する被告方料亭において大元栓をしめることは、その後大元栓を開いたとき、さきにしめられないままに放置されていた元栓からガスが流出するに至るような危険を招くおそれがあり、また「大花」の経営にあたっている吉田たき子はガスストーブの設置をした補助参加人会社係員より大元栓はしめないよう注意されていたことが証人吉田たき子の供述によって認められるから、本件事故発生の前後にわたり被告が大元栓をしめなかったことに、原告ら主張のような過失を見出すことはできない。≪証拠判断省略≫

四、原告らは本件部屋のガス設備の設置保存に瑕疵があるとし、その事由として、本件事故発生当時における屋外元栓の不設置、室内元栓の設置場所の不適切ならびに安全バンドおよびガスストッパーの不設置をあげており、当時室外元栓、安全バンドおよびガスストッパーの設置されていなかったことは被告の自認するところである。

しかしながら、証人都築龍夫の証言に徴しても、旅館において室外元栓を設置することは未だ普及していないことが認められるのであって、室外元栓が設置されていないからといって右ガス設備の設置保存に瑕疵があるとはいえない。また室内元栓の設置場所が板廊下の東隅であっても、就寝時にガスストーブを右廊下に置きかえること等によって障子を完全にしめることも可能なのであるから、必ずしも右元栓設置場所を不適当とはいえず、この点にもガス設備の設置保存に瑕疵は存しない。

証人吉田たき子の証言によれば、本件事故発生後四、五日して補助参加人会社係員によって本件部屋等の元栓とガスゴム管との接合部に安全バンドがつけられたことを認めることができ、また≪証拠省略≫によれば、ガスゴム管の先端(右接合部分)に安全バンドをつけた場合とつけない場合とで手によるガスゴム管の抜け具合にたいした変化はないものの、前者の場合には後者の場合に比しガスゴム管の引張力に耐える程度が二、三割増加するものと認められ、さらに安全バンドを右の個所につけるときにはそのガスゴム管が元栓の三段目まで挿入されていることを確認することになるのが通常であると考えられるけれども他面証人都築龍夫の証言によれば、前記のように料亭大花の本件部屋を含む各客室等にガスストーブが設置された際にはこれにあたった補助参加人会社担当職員都築龍夫においてその先端に二重のゴムキャップのついているゴム製ガス管を元栓の三段目まで一っぱいに挿入すればこれが元栓より抜けることはなく、そのうえさらに安全バンドを付する必要はないと判断し、この判断のとおりに行なったことが認められるのであって、家庭用ガスの供給およびガス器具の販売取付等を、専業とする補助参加人会社担当職員のした右判断およびこれによる作業以上のものを本件事故発生以前に被告に求めることは難きを強いるに等しいというべきである。もとより安全バンドをガス管先端部分に付設することはその装着力を増す点において望ましいことであり、≪証拠省略≫によれば、他の地域でガス供給事実を含む会社等において安全バンドの付設につとめていることが窺われるけれども、補助参加人会社にあってはすくなくとも本件事故発生前には必ず安全バンドを付するという取扱をしていなかったことが証人都築龍夫の証言によって認められる。

以上の諸点を彼此考量すると、安全バンドがガスゴム管の元栓接合部につけられていなかったことは、未だ本件ガス設備の設置保存の瑕疵をなすものではなかったと認められる。また右証言によると、補助参加人会社においては前記ガスストーブ設置当時ガスストッパーを取扱っていなかったことが認められ、この点よりしても、ガスストッパーが付設されていなかったことが本件ガス設備の設置保存の瑕疵にあたるということはできない。

本件部屋のガス設備の設置保存に瑕疵があった旨の原告らの主張は採用し難い。

五、(本件事故により原告らの蒙った損害)

(一)  (財産上の損害)

1  (亡源臣の得べかりし利益とその喪失による損害賠償請求権の相続)

≪証拠省略≫によれば、亡源臣は大正一〇年三月二五日生れで、これまで健康に恵まれ、本件事故当時株式会社倉島テント商会および長野スーパー株式会社の各代表取締役として月収合計金一〇三、七五〇円を得、原告らを扶養してきたことが認められるところ、昭和四一年簡易生命表によると、四五歳の男性の平均余命は二七・八七年であることが明らかであるから、亡源臣の場合、前記職種および健康状態を考慮すれば、なお一八年間(自動車損害賠償保障事業損害査定基準による。)は右程度の収入を得ることができたものと推認される。

原告らは、亡源臣の生活費は一ヶ月当り金一三、一二九円である旨主張するが、この主張事実を認めうる的確な証拠がない(下記家計調査年報中の統計表第一表都市階級別一世帯当り平均一ヶ月間の収入と支出〔全世帯〕に記載されている昭和四一年消費支出総額金五二、五一六円の四分の一が右金一三、一二九円となるけれども、亡源臣を含む原告ら世帯人員数は五名である点だけからみても、右消費支出総額の四分の一をもって亡源臣の生活費月額とすることは不合理であるといわざるをえない。)。また原告倉島とらみ本人は、本件事故当時における亡源臣を含む原告ら世帯全員の生活費が一ヶ月金一〇〇、〇〇〇円位であった旨供述しているけれども、この供述部分もたやすく採用し難い。そこで亡源臣の生活費については、他のできる限り妥当な算出方法によってこれを推定するよりほかない。

ところで、亡源臣および原告らの住所地である長野県佐久市の人口は、国勢調査の結果によれば、昭和四〇年一〇月一日現在五五、一四九人であるから、この点よりみて、本件事故発生当時において同市は人口五〇、〇〇〇人以上一五〇、〇〇〇人未満の都市であることが推認されるところ、成立に争いのない甲第一一号証(総理府統計局発行「家計調査年報・昭和四一年」。)によれば右人口数の都市における全世帯を対象とする一世帯当りの平均収入は一年当り金七七〇、〇〇〇円(従って、一ヶ月当り金六四、一六六円六六銭となる。銭単位未満切捨。)であり、同じく一世帯当り平均消費支出は一ヶ月当り金四九、四三〇円であることが統計上明らかである(右年報一〇八頁ないし一〇九頁参照)。

そこで、亡源臣の収入は前認定のとおり一ヶ月金一〇三、七五〇円であるから、これを右平均収入および右平均消費支出との割合に対応させて、同人および原告らで構成されていた家族全体の一ヶ月当りの総消費支出額即ち総生活費を算出すると、金七九、九一八円六二銭(銭単位未満切拾。)であったものと推認できる。

そして、世帯主である亡源臣の生活費は原告ら妻子の各生活費よりも多額であり、原告ら母子相互においてもそれぞれの生活費の額が異なるものと考えられる点と衣料・食料その他社会的あるいは文化的生活の諸種の要因および≪証拠省略≫により認められる原告らの左記各年令とを綜合斟酌すると、亡源臣の生活費を一〇〇とした場合に、妻原告とらみ八〇、長女原告やよい(当時一六歳)九〇、長男原告伸一(当時一一歳)および次男原告隆二(当時九歳)はいずれも六〇と認めるのが相当である(右消費単位指数は労働科学研究所編「最低生活費の研究」の労働科学叢書Ⅱ二四〇頁「総合消費単位」による。なお、右総合消費単位の調査年度〔一九五二年〕が多少古きに過ぎるかとも考えられるし、右調査以後の一般の生活様式・構造に変化をきたしていることは認めざるを得ないけれども、現在においても消費単位指数としてなおその合理性を有するものと考える。)から、亡源臣の生活費は前記認定総生活費の三九〇分の一〇〇にあたるものと認めることができる。

それ故、同人の年間純収入は次のとおり金九九九、〇九六円五六銭(銭単位未満切捨。)となる。

103750円×12-79918.62円×12×100/100+80+90+60+60=999096.56円

前記一八年間に取得すべき純収入を現在一時に請求するものとして、これを一八年間の年毎によるホフマン式計算法(係数一二・六〇三)によって計算すると、その総額は金一二、五九一、六一三円九四銭(銭単位未満切捨。)となり、亡源臣は本件事故による死亡のため右金員と同額の得べかりし利益を喪失したこととなる。従って、右金員のうち、原告とらみは妻として三分の一である金四、一九七、二〇四円六四銭の、その余の原告らはそれぞれ子として九分の二である金二、七九八、一三六円四三銭(いずれも銭単位未満切捨。)の損害賠償請求権をそれぞれ相続によって承継取得したこととなる。

2、(葬儀費用)

≪証拠省略≫によれば、亡源臣の葬儀費用として原告とらみは金二六二、八五六円を支出したことが認められ、かつ、それは前記1認定の亡源臣の生活程度に照し相当の支出であると認められるから、右原告は本件事故により右金員相当額の損害を受けたものであり、同額の賠償を被告に求めることができるというべきである。なお、≪証拠省略≫によれば、原告とらみは右認定額の他砂糖および茶購入代金として金二七四、〇〇〇円を昭和四一年一二月二五日に支出していることが認められ、右原告本人はこれら砂糖および茶は引出物として使用した旨供述する。しかし前記認定の葬儀費用中にはいずれも昭和四一年一一月三〇日に支払われた「焼饅頭」代金二四、〇〇〇円、「すし折」代金一六、〇〇〇円および酒代金三〇、〇〇〇円(数量一〇〇)が含まれており以上四種の支出費目、額およびその支出時期を綜合して考えると、右砂糖および茶は単なる引出物としてではなく、いわゆる香典返しとして使用されたものではないかと疑われるふしがあって、右原告本人の供述部分はにわかに採用し難く右金二七四、〇〇〇円の支出を本件不法行為と相当因果関係に立つ損害ということを得ない。

(二)(過失相殺)

叙上認定の諸事実にみられる本件事故の態様から判断するれば、ガスゴム管を元栓から離脱せしめるに至った亡源臣の過失が右事故発生の重大な一因をなしているものであって、右過失と西野および松浦の前記過失とを対比すると、原告らが被告に請求し得べき財産的損害額は前(一)項1および2記載の各損害額のうちの各三〇パーセントにあたる左記金員にとどめるのが相当であると認められる。

1、原告とらみ

(1) 相続分 一、二五九、一六一円三九銭

(2) 葬儀費用   七八、八五六円八〇銭

2、その余の原告ら(相続分のみ)各金八三九、四四〇円九二銭

ところで、右各相続分中、原告とらみは金一、〇〇〇、〇〇〇円を、その余の原告らにおいては各金七〇〇、〇〇〇円をそれぞれ被告に対し請求する。従って、被告において原告らに対し負担すべき財産的損害の賠償額は、原告とらみに対しては金一、〇七八、八五六円八〇銭、その余の原告らに対しては各金七〇〇、〇〇〇円となる。

(三)(慰藉料)

叙上認定の本件事故の態様、西野および松浦並びに亡源臣の過失の程度、同人と原告らとの身分関係、本件当事者の職業・地位・年令その他一切の事情を考慮すると、亡源臣の死亡により原告らがその妻子として原告ら主張のような精神的苦痛を蒙っていることが認められるとともに、この精神的損害に対する慰藉料としては、原告とらみについては金四〇〇、〇〇〇円、その余の原告らについてはいずれも金二〇〇、〇〇〇円と認定するのが相当である。

六、(結論)

以上の次第で被告は、原告とらみに対し前記財産的損害額と慰藉料の合計金一、四七八、八五六円(ただし一円未満の端数を切り捨てる。)、その余の原告らに対しそれぞれ前記財産的損害額と慰藉料の各合計金九〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する本件不法行為の日の後である昭和四二年九月一六日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきである。

よって、原告らの本訴請求をいずれも右の限度において正当として認容し、その余をいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項、第九四条、第九五条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 萩原直三 裁判官 高瀬秀雄 松岡靖光)

<以下省略>

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